勁草書房刊
Published by Keisou Shobou
は じ め に
わが国は、変革の時代に直面しているといわれる。人類が経験してきた農業革命や産業革命に匹敵する文明史的転換点に逢着しているともいう。確かに、第二次世界大戦中の統制経済の延長線上にあった規制から国際化に対応するための自由化へ、終身雇用の定期昇給から実績主義の年俸制へ、中央集権から地方分権へなど、わが国の将来に関心のある者ならば、時代の胎動を感じて変革の必要性を認識しているに相違ない。しかし、資本主義か社会主義化かの体制選択がなくなった現在、時代の胎動を実感しているという点では同じでも、価値観が多様化した状況の下では意見の一致を見ることは少ないし、時代がどの方向へ向かって流れているのかの歴史観については大幅に意見が分かれる。その一方では、時代の転換についての明確な認識を持っている者は必ずしも多いとはいえないであろう。
本書は、このような状況を踏まえた上で、国と地方公共団体の関係を中心に据えて、2050年におけるわが国の到達点を鮮明にしながら、その2050年の時点から逆に現状分析を試み、次に現状から到達点への具体策を提言しようと企図したものである。現状分析が的確でなければ将来の展望は開けず、その現状分析は分析をする者の価値観によって異なるから、絶対に正しいと主張できる提言をすることはできないとしても、大方の論者が前提とするところから出発すれば、自ずから説得力のある提言にたどり着けるのではないかと考える。その前提とするところとは、民主主義であり、民主主義の根幹をなす国民主権の理念である。本書では、国民主権から出発して、避けがたい国際化、自由化、情報化が進展する中で、わが国の命運がかかっているともいえる少子高齢化の進行に対応するにはどのようにすべきかを中心的な課題としている。
2000(平成12)年4月から地方分権推進一括法が施行され、地方公共団体は、第二次世界大戦後まもなく1947(昭和22)年に制定された地方自治法による機関委任事務のくびきからは解放されたが、法定受託事務が残されている上に、依然として財政面からの中央官僚による事実上の地方公共団体に対する支配体制が継続している。その顕著な例としては、小泉内閣の「三位一体の改革」に対する中央官僚と族議員の反対を挙げることができる。
ひるがえって2050年を念頭に置い世界情勢を展望すると、中近東における国際紛争は終息の方向へ向かっているようには見えないが、20世紀からの歴史の流れを視野に入れるならば、民主主義を採用する国家が着実に増加しているといえる。わが国としては、太平洋の向こう側の米国を重用視しなければならないが、韓国や中国だけでなく今後はインドやパキスタンなどの諸国も視野に入れておかなければならない。今後の50年間では、文明と文化を異にする国家間に永久平和が到来するとは期待できないが、国際連合を中心とする国際機関が国家間の紛争を解決できる能力を持てる可能性はあると期待したい。
本書は3部構成で、第1部は2050年の予想と期待を述べ、第2部は現状分析を試みる。第3部では2050年へ向けての提言を取り上げる。
できるだけ多くの読者を期待して、簡潔にわかりやすく記述することを心がけたが、その結果については読者の判断に待つしかない。
本書の出版に当たっては、勁草書房の古田理史氏にお世話になった。ここに記して、感謝の意を表したい。
2005年9月30日
山 崎 正
はじめに 第T部 国民主権の実現と内外情勢 第1章 国民主権のパラダイム 第1節 国民主権の理念 1民主主義の歴史的展開 2 国民主権の実現 3 行政需要と行政サービス 第2節 政治の行政からの独立 1 大統領制と二院制 2 政治と行政の役割の明確化 3 マニフェストによる政治体制の選択 第2章 内外情勢の進展 第1節 国外情勢 1 国際化 2 自由化 3 環境保全 第2節 国内情勢 1 情報化 2 少子高齢化 3 社会保障制度 4 国民負担率 第U部 国と地方公共団体と国民 第3章 中央の政治と行政と司法 第1節 三権分立と政治の貧困 1 行政組織における稟議制度と定期異動 2 立法の行政への委任 3 天下りと外郭団体 第2節 選挙公約の役割 1 国民主権の不存在 2 政治家と政党の役割 3 政策集団の不存在 4 委員会という隠れ蓑 5 量出制入と税制調査会 第3節 国会議員の役割 1 政策立案能力 2 国庫支出金と政治献金 3 政権交代と官僚組織 第4節 司法制度 1 国民からの距離 2 司法試験制度 3 弁護士と政治 第4章 国と地方公共団体の事務と財源 第1節 国と地方公共団体の関係 1 機関委任事務 2 法定受託事務 3 国庫支出金と支出金 第2節 天下りと国庫支出金 1 終身雇用と人間としての生き方 2 国庫支出金の役割 3 国債残高と三位一体の改革 4 地方公共団体の中央依存 第3節 国家財政 1 一般会計と特別会計 2 国債残高 3 国民負担率と財政赤字 第4節 地方財政 1 国と地方公共団体の事務と財政 2 地方公共団体の歳出と歳入 3 人件費 4 地方債と公債費 第5節 税源の偏在と財政調整制度 1 地方税の地域格差 2 市町村の財政状況 3 地方交付税制度 第5章 地方公共団体 第1節 行政需要から行政サービスまでの循環 1 選挙公約と量出制入 2 法廷受託事務と予算編成方針 3 議員の選挙公約と予算審議 4 監査委員と決算審査 5 議会における決算審査 6 行政需要と行政サービスの評価 第2節 地方議会 1 地方選挙 2 地方議員の与党化 3 全員協議会と委員会協議会 4 予算原案と増額修正 5 地方議員の政策立案能力 6 議会活動と議員報酬 第3節 行政組織 1 統治機関とサービス機関 2 行政の役割 3 職階制の未実施 4 分限規定の未適用 第4節 住民参加 1 観客民主主義と市町村合併 2 地方議会の傍聴 3 直接請求制度と住民投票 4 業界と談合 第V部 地方政府の構想 第6章 中央政府の政治と行政と司法 第1節 憲法改正の論議 1 平和主義の堅持 2 地方自治の実現 3 大統領制の採用 4 参議院の廃止 第2節 官僚主導からの政治の独立 1 政党とマニフェスト 2 政策集団と選挙資金 3 政令への委任の縮小 4 上級官僚の政治任命職の採用 5 職階制の実施と分限規定の適用 第2節 司法制度改革 1 弁護士と政治家予備軍 2 裁判官と人間性 3 死刑廃止 第7章 中央政府と地方政府の関係 第1節 中央政府の役割 1 中央政府の事務の制限列挙 2 区市町村優先の事務配分 3 地方制度改革 第2節 中央政府の地方政府への関与の排除 1 法定受諾事務の廃止 2 国庫支出金と政治家の役割 3 地方交付税制度の段階的縮小 第3節 区市町村中心への発想の転換 1 画一化から多様化へ 2 都道府県の一部事務組合化 3 地方政府の課税自主権と量出制入 第8章 地方政府の自治能力 第1節 選挙におけるマニフェストの一般化 1 マニフェストの役割 2 小さな政府と大きな政府 3 公職選挙法の改正 4 議会事務局職員と政策秘書 第2節 地方議会の立法能力の向上 1 条例の対象拡大 2 議会審議の透明化 3 議員とボランティア 4 村民総会 5 外部監査の採用と決算審査 第3節 行政組織の改革 1 政治任命職の採用 2 職階制の実施 3 分限規定の適用とマニフェスト 4 行政評価とマニフェスト 第9章 地域住民の政治参加 第1節 地域住民の自立と財政調整制度 1 行政サービスと費用負担 2 地方交付税制度と地方政府の自立 3 税源移譲と課税自主権 4 行政サービスの格差と人口移動 第2節 地域住民の自立とボランティア活動 1 子育ての社会化 2 教育委員の公選 3 地方議会の傍聴と議員活動の評価 4 住民投票の実現 5 納税者意識の向上と住民監査請求 6 自由化と福祉社会 参考文献 あとがき 索 引 |
あ と が き
1969年から70年にかけて、東京都から米国の地方財政を現地調査する機会を与えられて米国の地方政府を実見することができたが、 それまで書物を通じて学んでいた民主主義について、その現地調査を通じてはじめて「民主主義とは何か」という問いに対する解答を発見したと思い込むことができた。米国の地方政府は、わが国のように画一化されてはいないだけでなく、定義が難しいほどに多様化していたが、その多様化の中で共通していたのは、地域住民が地域社会のあり方を決定していたことであり、これこそ草の根民主主義の住民自治であると理解したのである。
その後、1977年から78年にかけてニューヨーク市に滞在しながら、1973年10月のオイル・ショック後のニューヨーク市の財政危機の研究を通じて、米国の財政制度の理解を深めた。その後も、ニューヨーク市と連邦政府の予算の概要を『地方財務』に春と秋に発表する形で研究を継続し、1989年にそれまでの研究成果をまとめて『米国の地方財政』として上梓した。
当時は、欧米の価値基準を尺度としてわが国を評価するのが一般的であったが、米国の草の根民主主義を価値基準としてわが国の国政や地方政治を批判しても受け入れられる状況にはなかった。そこで、わが国の状況の変化を追いながら、『現代行政の新展開』『地方分権と予算・決算』『住民自治と行政改革』『地方議員のための予算・決算書読本』『地方議員の政治意識』『地方行政入門』と執筆を続けてきた。この過程での関心は、少子高齢化の進展と国民の納税者意識の関係であり、国民主権の理念がどのような形でわが国に定着するかということであった。
その一方では、『米国の地方財政』よりも以前に『史記点描』(1987,公人社)を出版していたので、西洋文明と東洋文明を超えた人類史の視点からわが国の将来を展望しようとする考えを持ち続けた。古代中国と古代ギリシャ・ローマの研究を通じて、定着農耕と遊牧の相違による人間の行動様式に関心を持ち続けたのである。遊牧を背景として発展した民主主義が、定着農耕のわが国に果たして定着するのかという疑問を現在でも払拭できないでいる。
そのほかに、「人間とは何か」という問いの解答を天文学を中心とする自然科学に求め続けてきた。社会科学の言葉が示すように、政治や行政の分野でも客観性を追究する努力が重ねられているが、自然科学と比較すると、社会科学は研究者の主観から逃れることができずに、現在でも自然科学における「科学」の名に値する研究成果が公表されているようには見えない。地球に発生した生命の進化と人間社会の現状をどのようにして捉えて分析するか、誰でも承認せざるを得ないような原理原則が確定しているわけではなく、近未来に確定するとも思えない。そこで、2004年に、全宇宙のエネルギーを分母とし、これまでの観測結果から得られるエネルギーの総量を分子とすると、わずかに4%に過ぎないという知見を得たので、この宇宙には絶対的な基準は存在しないと考えることとしたのである。
今回の『地方政府の構想』は、政治と行政、東西の古代史、天文学の三分野におけるこれまでの研究成果を集大成する形でまとめたもので、2050年のわが国の到達点を想定して、地方政府のあるべき姿を提案したものである。もちろんいくら50年後を想像しても、歴史の流れと人知を対比すれば人知の矮小なのを克服することはほとんど不可能であるから、現時点では本書の提案がどれだけ実現するかを想定することはできない。しかし、目先の混沌たる状況から少し離れてわが国の将来を見据えようとしている者にとっては、判断のための材料を提供することになると期待している。
2006年6月
著 者